流産した子の命日、私の供養と夫との温度差
初期流産だったとはいえ、流産は私の中で一生忘れられない出来事です。
あんなに泣いた日々はないし、あんなに悲しい手術はなかった。
良くあることだとは分かっていても、たくさんある事例のひとつではなく、私にとっては大切に育んでいこうとしていた子供のひとりだった。
娘と手をつないで歩いているとき、息子を抱きしめているとき、この手に抱きしめることが出来なかったもうひとりの存在をふと思い出します。
先日、流産してしまった子の命日でした。
繋留流産した場合、心拍停止を確認した日が命日になるのか、手術した日が命日になるのかよく分かりませんが、私はお腹の中から出て行った日(手術した日)を命日だと思うことにしています。
命日というかお別れをした日ということで。
で、命日だった日に家族で買い物に出ていたので「ついでに花屋さんに寄りたい」と夫に言いました。
「え、なんで?」という夫に「今日は○月○日だから」と答えてもピンと来ていない様子。
「手術した日だよ」
「何の?」
「流産の」
「あー・・・」と言って気まずそうに黙ってしまった夫。
夫を責める気はない。
男の人にとっては短かった妊娠期間で子供の存在を実感できないのは当然だろうし。
私の場合、医師からの説明も手術も術後の通院も全てひとりでこなしたので尚更そうだと思う。
責めはしないけど、ちょっとイラッとするよね。
ちなみに私はお寺に頼んで水子供養のようなことは特にしていません。
命日には毎年お花を買って(その時の気分で可愛らしい花を選んでます)
お菓子(たまごボーロとか)とコップに少し牛乳を入れて日当たりの良い窓際にお供えします。
子供たちは意味を理解していませんが、お供えした後のお菓子は「みんなで仲良く分けようね」と言って食べます。
これが私が行っている私なりの供養です。
もしかしたらこれから先、今居る子供たちとの生活に追われて、心で想うだけの供養になることもあるかもれません。
それでも子供たちの誕生日を忘れないのと同じように、一生忘れない日付だと思っています。
夫も、私が「花を買おう」と言ったらピンとくるぐらいには覚えておいて欲しい。